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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第4節 独立宣言 [1]




 右手で左手を包み込む。手袋をしていても指先が(かじか)む。いっそのこと手袋など取ってしまって、息を吐きかけた方が効果的なのかもしれない。
 だが里奈は、その白い息を空へ向かってホッと吐いた。
 良く晴れている。空は高くて、薄い水色で、少しだけ白い。
 そんな澄んだ空を見上げたまま、里奈は悴んだ手を上着のポケットに突っ込んだ。クシャリと、乾いた音がした。
 昨夜、ツバサから手渡されたメモ。美鶴の携帯の番号と、住所が書かれている。ずっと里奈が欲しがっていた情報だ。これがあれば、里奈は自らの意思で直接美鶴へ連絡をする事も、思い切って家へ訪ねて行く事もできる。
 だが今は、里奈はそのどちらをもしようとは思ってはいない。
 美鶴。
 思い浮かべる姿に、向かい合うもう一つの姿。長身の、スラリと精悍なその体躯が、息も吹きかかるほどの距離で美鶴を見下ろしている。
 金本くん、あの時、美鶴と何するつもりだったんだろう?
 キス、するつもりだったのかな?
 ギュッと、胸を握り締められるような想い。
 悪いのは私だ。情けなくって臆病な私が悪い。こんな小心な私だから、だから美鶴にも迷惑を掛けてしまった。だから私が辛い思いをするのは仕方がない。
 ずっとそう思ってきた。思ってきたのだが。
 ここまで辛い思いって、しなきゃいけないの?
 そう思いたくなるほど辛くて、苦しい。
 今も、この瞬間も、美鶴はひょっとしたら金本くんとおしゃべりなどをして楽しんでいるのかもしれない。私はこんな小さな施設に閉じこもっていて、逆に美鶴は金本くんと一緒に唐渓という華やかな学校で楽しく過ごしている。
 どうして?
 ポケットのメモを握り締める。
 どうしてなの? どうして私だけ?
 里奈は美鶴が好きだ。ずっと会いたいと思っていた。美鶴に迷惑を掛けたのは自分だから、辛い思いをするのは当然だと思ってきた。
 だけれども、自分がどれほど辛い思いをして頑張っても、その思いは美鶴には伝わらなかった。

「さっさと私が言い出せばよかっただけだ。悪いのは私だ」

 言いながら、ごめんと口にはしながらも頭すら下げなかった美鶴。
 金本くんに会いたいという里奈の頼みを、叶えてはくれなかった。
 私と金本くんを、逢わせてはくれなかった。
 どうして?
 胸が潰れそうなほどの想い。その痛みが、里奈の健気をも潰していく。
 美鶴は、私と金本くんを逢わせてはくれなかった。澤村くんにフられた時も、私には何も言わせてはくれなかった。勝手に私から離れていった。
 どうして?
 胸が苦しい。
 どうして美鶴は、私ばっかりに辛い思いを強いてくるの?
 吸い込んだ冷気が胸を刺す。
 痛い。押し潰されそうなほどに、痛い。





 信じられない。
 瑠駆真は愕然とした思いを胸に抱えながら校門を出る。話を聞いてからかなりの時間が経っているのに、それでも動揺は治まらない。
 周囲には自分を慕う女子生徒が数人取り巻き、いつものように賑やかな下校だ。まぁそれは駅までの事で、駅舎まで付いていけば瑠駆真がどれだけ不機嫌になるかを、彼女たちは承知している。
 山脇瑠駆真は大迫美鶴にご執心。それは周知の事実。だがそれでも、諦めきれない。何がきっかけで自分の方へ気を向けてくれるかわからない。健気に毎日付いてまわる。
 花嫁候補を探しているという噂を真面目に信じている者もいるようだ。いや、信じているのではなく、そのようなチャンスが巡ってくればよいのにと、期待しているのかもしれない。期待が噂を真実へと昇格させている。
 バレンタイン当日も頑張った。何人かは強引にチョコを渡したようだ。
「手作りですの」
 などと言って媚を売るような視線を投げながら、コートのポケットに突っ込んだ。
「食べてくださいました?」
 翌日の問いかけにゴメンと答えるたび、女子生徒たちは落胆の表情を浮かべる。
 僕が食べない事くらいわかっていて渡しているはずだろう? それとも、僕は優しいから一口くらいは食べてくれるだろう、なんて考えているのかな?
 自嘲したくなる。
 僕は、甘く見られているようだ。彼女たちにも、そして美鶴にも。
 美鶴。
 心の中で呟く。途端に湧き上がるのは、不安か、それとも不信か。
 この目で見るまで信じられない。
 瑠駆真は一昨日の深夜、美鶴の母からメールを受け取っていた。翌日の放課後には、ファミレスで向かい合っていた。



「僕のメアド、よくご存知でしたね」
「美鶴の携帯をちょっと拝借しただけよ」
 悪びれもせずにニンマリと笑う。ここまで堂々と言われると、非難の言葉も出てこない。
「ひょっとして、メールの内容とかも覗いてたりします?」
「さすがにそこまで悪趣味じゃないわ。あら、何? 美鶴宛に、見られては困るようなメールでも送ったの?」
 瑠駆真は無言で苦笑い。
 アドレスを盗み見しているだけでも、十分悪趣味だと思う。
 瑠駆真はアセロラドリンクを一口飲む。エアコンが効きすぎて、喉が渇く。
「それで? 僕に何の用です?」
 呼び出されてあっさり応じた瑠駆真を相手に、詩織は携帯を見せた。
 例の写真だ。瑠駆真は、問い詰められる前に素直に謝った。だが彼女の本題は、写真ではなかった。
「こんな写真くらい、イマドキ珍しくもないでしょう。むしろ、あんな無愛想な娘にも男が寄ってきてくれるんだから、母親としては喜ばしい限りだわ」
 横を向いて煙草の煙を吐き出す。
「そういう瑠駆真クンだから、聞いてみたいと思ってね。霞流という人間を知っているでしょう?」
 彼女の口からその名前を聞いて、瑠駆真は少し驚いた。火事で焼け出された時に世話になっているので、詩織が知っているのは当然だ。だが、今はもう過去の話。詩織にとってはもはや縁もない人間なのではないかと思っていた。
 でも、色男に対しての嗅覚は人並み以上のようだし、見つけたターゲットはそれなりに頭の中で整理されているのかもしれない。そういう事に関する記憶力だけは鍛えられていそうだ。
「知ってますよ。あの富丘ってところに住んでいる人でしょう?」
「えぇ、そうよ。よく覚えているわね」
 真っ赤な口紅をベットリと塗りたくった唇が笑う。
「とても礼儀正しい人でしたよね」
 油断のできないヤツだけど。
 嫌味を飲み込み、冷静を装って答える瑠駆真。
 詩織は男好きだ。霞流慎二に対しても、恥じることなくその性癖を全開にさせている。富丘の家で、瑠駆真もその姿を目撃した。だから、そんな彼女の前では彼を悪く言うべきではないと思ったのだ。
「それに、紳士的な人のようでもありました」
 詩織は意味ありげな笑みを浮かべる。
「紳士的。そう、瑠駆真くんの目にはそういうふうに映ったのね」
「え?」
 意味がわからず聞き返す。ファミレスで向い合う二人。







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